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富裕層への近道はあるか/富裕層と貧困層 |
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格差の拡大は、政治や社会が悪いだけではない! |
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格差社会は、これからも進行して行くと思われます。
資本主義に限らず、上の者が大きな富を得やすい社会をつくり、下の者が従う構図が出来上がってしまうからです。
例えば、下の者の多くは政治に関心がありません。
あったとしても、スキャンダルやゴシップに興味があるだけです。
下の者は、政治や政策の本質を理解しようとしません。
いわゆる野党的に、感情的な評価をするに過ぎません。
ですから、上の者は、自分たちが富を得やすいルールを作ることに専念できるのです。
格差社会の進行は、政治や社会が悪いというだけが理由ではありません。
感情に走りやすい下の者が多くのことに無関心であることの方が格差社会を進行させているのです。
まず、下の者が感情を優先させてしまうことです。
例えば、買い物では、わずかなお得でも振り向いて、行動をしてしまいます。
上の者は、小さなお得には目を向けません。
単なる集客のためのイベントであることを知っているからです。
そして、上の者はネットで商品を買いません。
万が一買うときは、実際にお店で現物を手に取り、価格を確認して、ネットではまったく同じ商品に限り購入します。多少の価格差は容認します。
下の者は、ネットで一生懸命時間をかけて新たな商品、珍しい商品をさがします。
「商品名+格安」などとキーワードを入力してさがします。
買おうとする商品を実際に手で確認することはほとんどありません。
さがす時間で忙しいからです。
ネットで購入して、送られてきた商品を見て、想定通りでないことを確認して落胆し、愚痴を言い、不満を言います。
そのため、アマゾンのような比較的返品がしやすいサイトでの購入が多くなるのです。
ここでは「上の者」と「下の者」と書きましたが、富裕層と貧困層でも同様です。
買い物ひとつとっても考え方や行動が異なります。
多くの人が貧困層から抜け出ることができないはずです。
格差が拡大する要因のほとんどは、格差を貧困層自らが容認していて、格差拡大に貢献しているのです。
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ときどき小高い丘に登って、違った風景を眺めてみる |
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いろいろな人がいて、いろいろな考え方の人がいて私たちの社会はあります。
そのように思っているのは、その中に居る人たちだけの話です。
枠の中に居ると、些細なことでも違いが明確になり、多種多様な人間が生活していると思ってしまいます。
例えば、車を持っているか、家を持っているかが、まるで貧富の差のように理解してしまいます。
ほんのちょっとした違いでも、他民族のような理解をしてしまうのです。
しかし、それは錯覚です。
私たちは、同じ枠の中で似た者同士が寄り添って生きています。
本来、似た者同士に違いなどありません。
枠の中に居るとちょっとの違いが気になりますが、枠の外から見ると問題外のことばかりです。
言えば、社会の枠をどのように認識して生きているかと言うことになります。
もう一つは、枠の大きさです。
枠の大きさは、小高い丘の上に登ると手に取るようにわかります。
いろいろな服を着た人が、いろいろな形の家を持ち、いろいろな家族構成で生きています。
車も走っています。
赤い車、白い車、犬を散歩している人もいます。
枠の中に居たときは、通り過ぎる人の服装や動作までもが気になりました。
でも、丘から社会を見ると、そのようなことまでは判別できません。
小高い丘の上で、違った方向を眺めてみます。
そこにも人間の枠があります。
でも、そこは違った人間の枠です。
今度は、空から眺めてみることにします。
高度を上げると、人間の枠は小さな塊にしか見えません。
小さな塊は、どれもが似ています。大した差異はありません。
すると、自分が小さな枠の中で右往左往していたことに気が付きます。
世の中の広さを体感します。
自分の行動半径を広げること、考える分野を広げること、
そして、いままでの努力が、ほんの小さな努力であったことに気が付きます。
年金保険料が毎年上がっています。一方で、年金の支給額は、確実に減っています。
そのような社会の中で50億円、100億円の税金を奪い取って行く人もいます。
そのような社会では、丘の上に登って見渡してみることが必要になります。 |
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ここでは、「ときどき小高い丘」に登ることを書いていますが、いつも小高い丘の上にいる人もいます。
小高い丘の上にいつもいる人は、余裕がある人です。
余裕がある人は、丘の上から私たちを見下ろしています。
そして、どのようにしたら商売になるのかをいつも考えています。
丘の下で群れていたら見えないことも、丘の上からなら見えるものがあります。
丘の上からなら群れの大きさがわかりますから、個々には少ない利益ですが集めて大きな利益を得ることになります。
丘の下の群れの中に居ると、近くにいる数人しか見えません。
そのため、これはお客様が少ないから商売にならない、あれもダメ!
そんなことでいつまでもスタートラインにたどり着けないのです。
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階層によって情報の質が違っていることを認識していない |
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IT社会になり、豊富な情報の中で私たちは生きています。
そして、その情報を日々選択して生きていることになります。
情報量が多く、その情報を選択できる環境は、私たちにいろいろな恩恵を与えてくれています。
そして、そのITはさらに進化し、AI、IoTで私たちの生活は飛躍的に変わっていきます。
ここまでは、誰でもが共通していることとして理解しています。
豊富な情報があり、その選択をしながら、また利用しながら便利さやお得などを得ることになります。
豊富な情報については、今までもいろいろな場面で論じられてきました。
全地球的で膨大な情報をどのように選択し、それをどのように利用できるかです。
「情報を制する者は、政治も経済も制する!」などと・・・
私たちは、豊富な情報の存在は認識しています。
もちろん、今では否定する人はほとんどいないはずです。
ただ、豊富な情報の量が多いについては認識しているのですが、情報の質についての意識はあまり強くはないようです。
豊富な情報の中には、多くの役に立たない情報や必要でない情報、危険な情報が紛れ込んでいると言うことです。
そのため、情報は選択が重要だと言うことになります。
情報は選択が重要ですが、すべてが同じ土俵に乗っているわけではありません。
私たちが選択できる土俵に乗らない情報もあるのです。
この私たちが選択できる土俵に乗らない情報が、実は、とても重要な情報であることが多いのです。
特に今日の経済社会では、情報が命です
身近な話で、どこかのお店で「ポイント5倍セール」をやるという情報を得て多くの消費者が動きます。
ところが、「ポイント5倍セール」よりも高価値な情報を得ている人がいて、その人は「ポイント5倍セール」の情報を気軽に捨てています。
「ポイント5倍セール」は、一般の消費者が選択する土俵に乗った情報です。
一方で、その「ポイント5倍セール」を捨てても一向に問題が無いような高価値の別の情報は、消費者には届いていません。
一般の消費者が選択できる土俵に乗らない情報なのです。
実際、一般の消費者が選択できる土俵に乗らない情報も膨大にあるのです。
土俵に乗る情報と土俵に乗らない情報。
大きく違っているのは情報の質です。
この違いが繰り返されることで、さらに階層間の隔たりが大きくなります。
ということで、それなりに情報の量も必要ですが、質がとても重要だと言うことです。
「そんなこと知ってるよ!」とほとんどの人が言います。
法的、道義的な良否の判断は別として、
あなたのところに億単位、いや千万円単位が転がり込んでくるような情報が届いていますか?
これがまた不思議ですが、一部の特定の人には、そのような情報も頻繁に行き交っているようなのです。
ですが、その特定の人だけに届く情報は、外に出て行かないのです。
その重要な情報を受けるためには、信用と実績、家柄、歴史などが重要な条件になっているからです。
簡単なことではありませんが、信用と実績は努力で何とかなるかも知れません。
しかし、家柄や歴史は簡単に手に入れることができません。
今日、一般の消費者の間では家柄や歴史を言う人はほとんどいません。
叶わない領域の話ですから廃棄しています。
しかし、特定の人たちは、家柄や歴史を高額な対価を支払ってでも手に入れようとしているのです。
それは、高価値な情報が行き交うところに自分を置きたいと考えるからです。
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富裕層とは、社会の中の経済的に余裕がある階層で・・・ |
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富裕層とは、社会の中の経済的に余裕がある階層を言います。
経済的に余裕があることから、精神的な余裕なども生まれ、相乗的に余裕がある生活を可能にします。
富裕層に特徴的なことは、社会が富裕層に対して優位な状況を積極的、或いは間接的に作ってくれていることです。
このことがさらに富裕層を有利な方向に向かわせ、結果的に経済的な優位性を高めることになります。
いわゆる富裕層はさらに儲かり、貧困層はますます貧乏になっていく構図です。
これが社会に定着すると、格差社会が生まれ、次第に超格差社会に進んでいきます。
中世の時代には、格差が大きくなって暴動や一揆、戦争などになってしまうこともありました。
富裕層になるための前提は、働く、貯めるという基本的な日常生活があります。
働く、貯めるという日常作業の中には、節約という作業もあります。
ある程度の金額が貯まると、さらに増やすこと、さらに稼ぐことに貪欲になってきます。
それは、貯めることによって、お金を持っていることの優位性の一端を知るようになるからです。
人間は、優位な立場にいることを実感して満足し喜ぶ習性があります。
例えば、グループでいるとき、他人が声を掛けてきました。
その他人は、何らかの評価と判断で、特定の人に声を掛けてきます。
声を掛けてくる他人を取り代えても、声を掛けられるのは同じ特定の人です。
それぞれの他人は、グループの中の特定な人を共通して、代表者であろうという評価と判断をしているわけです。
他人がグループの中の特定の人だけに声を掛けるようになると、グループの中の特定の人にだけ情報が集まります。
そして、グループ内の他の人は、情報の一部を受けることになります。
グループの外側にいる人は直接情報が届きませんから、グループの代表者などから間接的に情報を得るようになります。
このように、社会に優位な立場の人は、さらに優位に情報を受けられるようになるのです。 |
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結果は、あなたが想定する通り、社会に優位な立場の人の方が、さらに優位な立場に向かうことになります。
富裕層になるための過程は、グループ内の人より少し目立つこと。
いい服装をすること。
役に立ちそうな人間であることを見せること。
清潔でいること。
積極的の行動すること。
場合によっては、少し余分にお金を持っていそうな雰囲気を感じさせることです。
金融機関などでは、具体的にお金があるか、無いかを判断しています。
増えていく過程を見ながら、ある程度の金額になると声を掛けてきます。
不思議な世の中ですが、ごく自然の現象です。
当然、富裕層は、金融機関への関わり方が貧困層とは違っているのです。
今日の社会では、基本的には、ほとんどの人が富裕層に向かって歩いています。
ただ、富裕層に向かって歩くのですが、いくつかの障害があります。
とてつもない大きな厚い壁の場合もあります。
ほとんどの人は、その障害で挫折します。
その挫折頻度を高めてしまうのが、意外にも「貧困層の生態や習性」と言うわけです。
富裕層に向かっていても、富裕層に向かう障害になる行動を自らがしてしまったり、言ってしまったりすることの原因が「貧困層の生態や習性」なのです。
本人が意識していないのに出てしまうのです。
富裕層になるためには、単にお金を貯めれば良いということではありません。
世の中には、せっかく貯めたお金を横取りされる事例がたくさんあります。
富裕層に向かおうとするとき、「貧困層の生態や習性」の存在を知らないからです。
ところが、ほとんどの人は「貧困層の生態や習性」を認識していません。
ですから、いつまで経っても90%以上、いや95%以上が貧困層なのです。
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