余裕で生きる
 貧困層は、貧困層を自覚していない/貧困層の生態と習性  
日本国民の95%以上は紛れもない貧困層ですが・・自覚していない<181029>
いま、富裕層、貧困層の人数構成はどのようになっているのか
「貧困層の生態や習性」が富裕層への道の障害になっているが・・
貧困層は、貧困層であることを自覚しないという習性がある
日本国民の95%以上は紛れもない貧困層ですが・・・自覚していない
   
日本国民の95%以上は、紛れもない貧困層ですが、ほとんどの国民は自覚していないようです。
たぶん、それは日常の生活ができて、ほとんどが飢えることなく生活できているからです。
ただ、あなたが、貧困層であることを証明していることがいくつかあります。

それは、国会議員が「雇用と経済」を公約や政策に掲げると当選できるという常識が通用しているからです。
国会で眠っていても、税金の無駄遣いをした議員でも、「雇用と経済」を叫んで、ほとんどは当選しています。

地方議員の場合は、さらに「地域への利益誘導」です。このようなことが繰り返されていることは、紛れもなく貧困層の証です。

そして、いちばん明確に貧困層であることを示しているのが消費増税の容認です。
貧困層に負担が多い消費税を、なぜ貧困層が賛成しているのかとても不思議です。

なぜ、無駄遣いに目を向けないのか、です。
貧困層は、まともに聞こえる説明に流される傾向がります。

思考回路が偏っているからです。
貧困層を自覚しないことの弊害は数多くありますが、ほとんどの人は貧困層を自覚していません。
   
貧困層と言うと、ほとんどの人は、アフリカや中東などで、戦争に翻弄されその狭間で生きる飢えた子供たちのことだと勝手に思っています。
   
「あなたも貧困層ですよ!」
「でも、抜け出る方法もありますよ!」

これが、このサイトの目指すところです。

富裕層の多くは、南の島でときどき投資の成果を確認して、寛いでいますよ!

そのような社会から遠く離れた場所で、貧困を自覚しないで生きている貧困層が多いことには驚かされます。
<181029>
いま、富裕層、貧困層の人数構成はどのようになっているのか
   
このサイトでは、「富裕層」が5%以下、「貧困層」が約80%、残りの15%程度が「貧困層予備軍」としています。

富裕層は、どのような人で、メディアなどでも言われてますからなんとなく理解できます。

ところが、この「富裕層」、何を基準にそのように呼んでいるのか明確な数字を表現できない難しさがあります。

それは、金融資産と収入の額、およびその関係性です。安定した「富裕層」と言えば、事業などでの報酬より金融資産を持ち、さらにそこから得る収入が安定的にあり、増え続けていると言うことでしょうか。

経済統計などでは、「3%の富裕層が、国内の全金融資産の80%を占める!」などとと説明していることもあります。

雲の上と言うか数字に表現できないのが富裕層なのかもしれません。
しかし、どこかで富裕層の条件を表現しなければ説明が曖昧になってしまいます。

富裕層の数字や立場を理解するために、先に貧困層予備軍を考えることにします。

私は、富裕層と貧困層の間に貧困層予備軍を作りました。
それは、純然たる貧困層とは違う意識や立場、行動があるからです。

その貧困層予備軍は、富裕層になろうという意識がとても強いことが特徴です。
「稼ぐ!」「増やす!」に敏感になっています。

「稼ぐ!」「増やす!」に敏感ですから、リスクもあります。
その最大のリスクは、純然たる貧困層になってしまうことです。

しかし、貧困層予備軍のほとんど、95%以上は貧困層に落ちていきます。
ですから、貧困層予備軍と呼んでいます。

「稼ぐ!」「増やす!」の代表的な行動、金融投資や不動産投資に向かおうとする貧困層予備軍の金銭的背景が掴めれば必然的に富裕層の下限が見えてくるはずです。

まず金融投資ですが、大きな金額を動かすのが有利であることはすでに知られています。
貧困層予備軍が考えている金融投資のための金融資産は、おおむね5,000万円程度が目安のようです。中には、1億円と言う人もいます。

さて、次に不動産投資です。

例えば、マンション投資ですが、新築マンションンの1住戸が1億円を超えることが日常化しています。
1住戸だけを手に入れて賃貸して不動産投資と言うのには危険負担が大きすぎます。

また、新築の1住戸が2千万円、3千万円程度のマンションですと、郊外、或いは地方都市のマンションになりますので、投資物件としては危険です。

それらの不動産は、主要駅直近と言う以外、時間が経過すれば需要が極端に低下するからです。

金融関係の会社、不動産投資物件を扱う会社の情報を見ていると、不動産投資では2億円から、5億円くらいになると物件が安定してきます。

貧困層予備軍の「稼ぐ!」「増やす!」の代表的な行動を考えて、富裕層の経済的下限を総合的に判断すると、金融資産が2億円程度と言えるような気がします。

収入は、投資などから得る利益と労働(事業を含む)から得る報酬があります。
今日では、年に3千万円を超えているように感じます。
この収入に関して言えば、特に労働報酬は経済の変動に左右されます。

で、富裕層の経済的下限は、2億円と3千万円、こんなところでしょうか。

富裕層以外の人は、すべて貧困層です。
ただ、貧困層の上位には、貧困層予備軍が居るといることになります。

富裕層の経済的下限は、2億円と3千万円で、安定して「稼ぐ!」「増やす!」ができています。

貧困層予備軍は、その領域を目指す前提条件を備えている人です。適度に収入があって、適度に金融資産があり、「稼ぐ!」「増やす!」を積極的に行動に移したいと考えている人です。

この貧困層予備軍にも経済的下限があります。
それが300万円です。300万円の年間の収入、或いは金融資産が300万円を超えたとき、貧困層予備軍として位置付けられます。

ただ、下限を300万円とした場合、貧困層予備軍の比率は、15%をはるかに超えます。
50%の半分くらいまでが貧困層と呼べるかもしれません。

なぜ数字に差があるかと言うと、年収が300万円以上であっても「稼ぐ!」「増やす!」に積極的ではない人がいるからです。
いわゆるコツコツ貯めて、危険なものには手を出さない人が相当数いるからです。

貧困層予備軍の年収の下限を300万円にした場合、この領域に含まれる人はとても多くなります。
実際には300万円の年間収入だけでは投資的な行動はほとんどできません。

なぜ300万円も含めているかと言うと、借り入れができるからです。
借り入れができると言うことは、自分の技量を超えた投資話が増える可能性が高まると言うことです。

その危険性などを考慮して貧困層予備軍に入れています。
でも、その近辺では、実際には貧困層と大して変わりません。

貧困層に関しては、第2部 貧困層の生態と習性で確認してください。
<170611>
「貧困層の生態や習性」が富裕層への道の障害になっているが・・
   
貧困層の人は、「貧困層の生態や習性」が富裕層への道の障害になってることは薄々気づいています。

が、文章に書かれている内容を見たときは、そこには他人が居ませんから、内容に納得です。
ですが、直接言われると腹が立ちます。

腹が立つと言うことは、的を射ていることになりますが、直接言われたときは恐ろしく挑戦的になることもあります。
もともと指摘されるのが嫌だからです。

とは言え、貧困層の人間は、「貧困層の生態と習性」の内容には納得です。
ところが、その先を展開できないのです。

「貧困層の生態と習性」が富裕層への道の障害になっていることを知りながら抵抗しているのです。

あまり言うと、やけっぱちになってしまい、さらに「貧困層の生態と習性」を実践してしまうのです。

日本の貧困層は、人の噂によると8割以上だそうです。

残りのすべてが富裕層ではありません。
中間をさまよっている人が15%ほどいます。

私は、その人たちを「貧困層予備軍」と呼んでいます。
そのほとんどが近々貧困層の仲間入りを約束されているからです。

「貧困層予備軍」は、適度の収入があり、適度の金融資産を持っています。
そして将来が不安ですから、増やそうとする意識は人一倍です。

そこには、必然的に悪魔が近寄ってきます。
その悪魔は、投資を誘う人たちが有名ですが、実はそれ以上に卑劣な悪魔は「貧困層の生態と習性」なのです。

そのことにある程度気が付きながら、排除、改善できないのですから、やはり貧困層なのです。

ちなみに、本物の貧困層は、お金を欲しがっていますが、増やそうとは考えません。
元手がありませんし、金融機関などからの借り入れもできないからです。

だから、その貧困層には、悪魔の手は伸びません。

しかし、この社会では、とても8割の人が貧困層の人間のようには見えません。
ほとんどの人が背伸びして生きているからです。

背伸びして生きていると倒れやすくなりますが、そんなことはお構い無しです。
ですから、富裕層の道を歩き始められないのです。
<170528>
 
貧困層は、貧困層であることを自覚しないという習性がある
   
貧困層の人は、自分が貧困層であることを認めないという習性があります。

自分を低く評価されたくないという思いがあるからです。
ひとりで買い物をするときは節約型を通しますが、他人と一緒のときは財布の紐が緩みます。

他人と一緒にいるときや他人に見られているときは、その視線や評価を気にします。
そして、視線が好意的であり、或いは評価が高いときは、調子に乗ります。

貧困層の人間ではないという評価を受けたと勘違いをしてしまうのです。

貧困層の人は、相応と言うことを知りません。
ですから、貧困層的な言葉で非難されると激怒します。

貧困層は、経済的に余裕があるということだけではありません。
精神的な貧困さを表現します。

例えば、他人に迷惑を掛ける行為をしたとしても平然としています。
野菜売り場のレタスや桃などは触ると急激に品質が低下します。
夕方には黒ずんでしまうこともあります。

そのレタスや桃を触りまくって、結局は買わないお客様がいます。
「自分は、品質にうるさいんだ!」と言わんばかりです。

結局、他人に迷惑をかけていることに気が付かないのです。
これが貧困層の人の習性なのです。

まるで知っているような態度や行動です。

例えば、レタスは、2個程度手に取ればおおよそのことはわかります。
桃は、視覚で判断するしかありません。そのような商品なのです。

それがわからないから、貧困層の習性だと言われるのです。
次のお客様がまた、同じような行動をします。

結局、何も買いません。
「私は、貧困層の人間ではない!」と言いたいのかもしれません。

この貧困層の習性を態度や行動に出すような人にはなりたくないですね!

友達にもなりたくないですね!
人間が近寄るどころか、遠ざかります。
<170526>